メディアへの信頼(プロ野球の報道に関して) その2
2004年 09月 22日
副産物/信頼性
もともと私はそう思っています。バラエティ番組のコメンテータもしくはレポーターぐらいにしか思っていません。台本に書かれた役割を演じているに過ぎないんじゃないでしょうか。
評論家個々が権威であるかどうかは受け止める側で決めることで、それ自身だけで存在するものではない、と私は思っています。実績を重ねることで信頼も高まり権威となる、でしょう。評論家を名乗ることで権威が自動的についてくるわけではありません。
しかし、もしIzagonさんが権威を感じていたのでしたら、私が口を挟むの失礼な態度であったと思います。
それではバラエティ番組として成立しないじゃないですか。客寄せパンダとしてネームバリューのある元選手で、軽いノリで話をしてくれる人がいてくれればいい。で、その人は評論家である必要はありません。
ここまでがIzagonさんの考えを読み違いしていたポイントかと思います。私は、どーせおちゃらけバラエティ番組なんだからそんなにマジになる必要もないじゃない、と思っていたのですが、Izagonさんはまじめに受け止めていた(ですよね)。だから話が合わない。不愉快な思いをさせてしまって申し訳ありません。
同情的というような書き方をしたつもりはないのですが、もしそう思われたのでしたら、次のように感じていることをお伝えします。「彼らが他の番組の出演者、あるいはフリーな立場であったら、もっと違う考えを述べたのではないか」。
はい、おっしゃるとおりで、営利企業とて社会的な責任が伴うのは当然です。しかし営利企業であるが故に、視聴率上げる、販売部数を伸ばすために番組、記事を構成するのも事実ではありませんか?
「ボウリング・フォー・コロンバイン」で現場のカメラマン、番組プロデューサーに「銃を使った事件と悪徳企業のどちらを取材対象にする?」という問いかけに対してどちらも「銃」のほうを選んでいましたね。それと同じことが他の場面でも行われていると考えても不思議ではないと思います。視聴者、読者の望むものを提供する、という動機で番組・記事が取捨選択されていると。
全体主義ということに関して、スターリンや金正日の名前を出したのは不適当でした。ごめんなさい。私が言いたかったのは、例えば100人がすべて同じ方向を向いていたら、それは外部の力が働いている、もしくは巧妙なレトリックに踊らされているのでは、と疑ったほうがいいんじゃないか、ということです。
今回の場合読売系のメディアだけは球団経営側を擁護する立場をとっているわけですが、そのような主張が存在するのは、健全な状況であると言えるのではないか、です。もちろん個人的に支持するものではありませんが、否定するつもりもありません。
まず「報道機関の他業種参加、資本参加を規制する」という考えは、一般大衆を誘導する力を持っているから、という理由と受け止めたのですが、それは違いますか?
そのような理由であれば、いまどき「報道機関」でなくても同じことができてしまうでしょう、と思っています。ですから「報道機関」を規制対象にしたところで意味はないのではないか、と。
ただ「報道機関」の定義付けをする意図はありませんでしたので、これは私の書き方にまずかったと思います。すみませんでした。
>じゃあ江川、水野、宮本氏らには「太鼓持ち」(まあ、「タレント」でもい
>いですが)という肩書きを名乗ってもらいましょうよ。
もともと私はそう思っています。バラエティ番組のコメンテータもしくはレポーターぐらいにしか思っていません。台本に書かれた役割を演じているに過ぎないんじゃないでしょうか。
>「評論家」は権威であり、信頼性が問題になる職業ですよね?
評論家個々が権威であるかどうかは受け止める側で決めることで、それ自身だけで存在するものではない、と私は思っています。実績を重ねることで信頼も高まり権威となる、でしょう。評論家を名乗ることで権威が自動的についてくるわけではありません。
しかし、もしIzagonさんが権威を感じていたのでしたら、私が口を挟むの失礼な態度であったと思います。
>番組の側で言えば、「番組としての構成・方針を優先する」ために、評論家に
>しゃべらせる必要なんて無いです。番組として映像を編集して見解とすればよ
>ろしい。
それではバラエティ番組として成立しないじゃないですか。客寄せパンダとしてネームバリューのある元選手で、軽いノリで話をしてくれる人がいてくれればいい。で、その人は評論家である必要はありません。
ここまでがIzagonさんの考えを読み違いしていたポイントかと思います。私は、どーせおちゃらけバラエティ番組なんだからそんなにマジになる必要もないじゃない、と思っていたのですが、Izagonさんはまじめに受け止めていた(ですよね)。だから話が合わない。不愉快な思いをさせてしまって申し訳ありません。
>そこまで太鼓持ちに同情的なのはなぜですか?
同情的というような書き方をしたつもりはないのですが、もしそう思われたのでしたら、次のように感じていることをお伝えします。「彼らが他の番組の出演者、あるいはフリーな立場であったら、もっと違う考えを述べたのではないか」。
>メディア・報道機関に営利企業としての面があるのは当然。でも「それだけ」
>ではない。それぞれは排他的な議論じゃないです。「営利企業だが、それ以上
>の責任がある」。この反論にはあんまり意味がありません。揚げ足とりですね。
はい、おっしゃるとおりで、営利企業とて社会的な責任が伴うのは当然です。しかし営利企業であるが故に、視聴率上げる、販売部数を伸ばすために番組、記事を構成するのも事実ではありませんか?
「ボウリング・フォー・コロンバイン」で現場のカメラマン、番組プロデューサーに「銃を使った事件と悪徳企業のどちらを取材対象にする?」という問いかけに対してどちらも「銃」のほうを選んでいましたね。それと同じことが他の場面でも行われていると考えても不思議ではないと思います。視聴者、読者の望むものを提供する、という動機で番組・記事が取捨選択されていると。
>全体主義と立場は関係ありますよ。ややこしい関係で、一要素でしかありませ
>んけど。
全体主義ということに関して、スターリンや金正日の名前を出したのは不適当でした。ごめんなさい。私が言いたかったのは、例えば100人がすべて同じ方向を向いていたら、それは外部の力が働いている、もしくは巧妙なレトリックに踊らされているのでは、と疑ったほうがいいんじゃないか、ということです。
今回の場合読売系のメディアだけは球団経営側を擁護する立場をとっているわけですが、そのような主張が存在するのは、健全な状況であると言えるのではないか、です。もちろん個人的に支持するものではありませんが、否定するつもりもありません。
>ライブドアのネット中継をもってメディア企業とする?ええと、朝から晩まで
>放送している企業と、野球放送だけ(しかもおそらく有料で)やる企業、同じ
>レベルで扱うんですか?それと、報道番組を持っている企業と、そうでない企
>業、どちらも「報道機関」ですか?
まず「報道機関の他業種参加、資本参加を規制する」という考えは、一般大衆を誘導する力を持っているから、という理由と受け止めたのですが、それは違いますか?
そのような理由であれば、いまどき「報道機関」でなくても同じことができてしまうでしょう、と思っています。ですから「報道機関」を規制対象にしたところで意味はないのではないか、と。
ただ「報道機関」の定義付けをする意図はありませんでしたので、これは私の書き方にまずかったと思います。すみませんでした。
by over45
| 2004-09-22 14:08
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